寺の概要

参道を入ると左右に一基づつ石

灯篭があり左の灯篭は輪廻の形

をしている。左右に三基づつ六地

蔵が並んでいる。


本堂の左側を進むと小高いところ

に墓地があります。見下ろすと

初夏には蛍が舞う田園風景、振り

向けば遠くに
浅間山が見えます。

曹洞宗 萬年山 長龍寺

住   職 31世 新井 英夫
所 在 地 群馬県安中市松井田町小日向612番地
本   尊 釈迦牟尼仏
唱   名 南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)
本   寺 上後閑 ・青木山長源寺
大 本 山 永平寺(福井県) 開祖 道元禅師
總持寺(横浜市) 開祖 瑩山禅師
脇   士 文殊菩薩 ・普賢菩薩
  ご本尊 釈迦牟尼仏  
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沿革
創   建 天正18年(1590年)
開   基 小板橋雅楽頭重種
開   山 長源寺10世 立山宗建大和尚
由   緒  開基の小板橋雅楽守は、小田原北条氏の宿将18万石松井田小屋

小板橋重種の墓
城主大道寺駿河守政繁の老臣で、下増田内出城並びに小日向内小
屋城(共に小屋城出城)の守将である。
 天正18年3月2日、豊臣秀吉の小田原征伐に当たり、前田利家、
上杉景勝、真田昌幸等の北国連合軍5万6千余を迎え、松井田小屋
城に籠城する大道寺軍3千余人死闘すること5旬、激戦の後同年4月
重種一族は戦死し、翌20日同城は落城した。重種の意志により遺骸
は、当寺仮堂建立の為縄張り後、親交の深い宗建大和尚引導により
当寺西方廟所に埋葬された、

立山宗建和尚の墓
 尚、総ての伽藍の完成は2年後の文禄元年(1592年)である。その
後寛文6年(1666)12月25日火災の為全焼、後6世利君和尚小堂建
立、文化8年(1811)16世知雄和尚により本堂再建、現在に至っている
 5世補鶴和尚の代、4代将軍家綱公より御宗印30余石賜ったが、明
治維新により総て上地した。
  
   昭和29年頃 萱葺き 昭和38年頃 瓦葺
モノクロ写真は壇信徒小板橋角之進様提供 ページトップヘ