
地域情報 住環境整備事業により |
![]() ふれあいセンター |
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(どんど焼き) 昔から小正月に 行われていましたが現在は 1月15日前後の休日に実施します 古い達磨やお札などを燃やし 無病息災、厄除けなどを祈願します |
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| 消防団の協力により安全に行われます | |||
![]() 伝説 |
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| ①滝の不動明王 | 不動明王には滝がつきものなのに、この不動明王には滝がないので |
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昔の村民が村の名前を滝としたと伝えられている |
| ここは旧東山道や鎌倉街道の滝から嶺に渡る百年橋(現在はない)の | |
| 手前にあり、旅人の安全を長い間見守って来た。 | |
| ②横田桃水の碑 | この碑の主こそ偉大な童話作家横田桃水である。明治23年下の坊に |
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生まれる。幼少のころより身体壮健で優秀な成績で国衙小学校を卒業 |
| 明治42年上京、豊島師範学校に入学、大正2年3月31日第一期生と | |
| して優秀な成績で卒業。大正十三年3月府下淀橋第五小学校長に、手 | |
| 腕力量が認められ昭和3年3月淀橋第一小学校長に栄転した。 | |
| 大正2年以来童話の創作に専念し、全国講演に、ラジオ放送に、黎明期 | |
| にあった童話会に投じて大いに活躍し桃水の名声を全国壇にした。 | |
| 著書に「桃水イソップ」「蜘蛛の命」「読方模範学習書」等々数多くの作 | |
| 品がある。昭和2年38歳にて嫁を迎えたが、昭和3年12月8日関西学 | |
| 事視察の途中、東海道藤枝駅付近にて、不慮の災いにより39歳で惜し | |
| い生涯を閉じた。 | |
| ③内小屋城跡 | 現在の火の見やぐら付近を上野に向かい少し行き竹やぶの裏あたりか |
| ら東にあり、城と言っても砦程度のものであった。 | |
| 大道寺駿河守が小田原北条氏の西毛特に碓氷峠の押さえとして、 | |
| 松井田城を守護していた頃、松井田城東方の砦的存在であった。 | |
| 小板橋雅楽守一族も居住していた時代もあった。 | |
| ④御蔵場、学校跡 | 現在火の見やぐらのある付近、昔郷倉があった所である。郷倉とは、天 |
| 明6年江戸幕府の貯穀令に基ずいて全国各村々毎に命ぜられた。しかし | |
| 九十九村には小日向以外無かったようだ。度重なる凶作に備えて重要 | |
| な食料の米を備荒貯穀を目的とした恒久的設備として郷倉が設置される | |
| ことになった。明治の初年、この郷倉を利用して小日向学校が創立され | |
| 小日向、国衙両村の師弟を教育した。 | |
| ⑤16番正観音 | 西上州34ヶ所観音霊場の一つ、16番の正観音、昔は参拝者が多かっ |
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たそうであるが、今は人影も無く静かに佇んでいる。 |
| ⑥成就院 | 御朱印参拾壱石余 龍王山榮福寺平等坊真言宗成就院 |
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本尊不動明王脇士二童子 本寺不動寺(松井田) |
| 開祖後圓融院御宇永徳年中本願慶秀 | |
| 昭和27年7月、改築 平成7年改築 | |
| 由緒ある古い寺で伝説も多い。現在無住職 | |
| ⑦日枝神社 | 成就院の西隣にあり、別当寺は成就院 |
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神仏混同時代には、成就院の住職が神主を兼ねていた、 |
| ⑧田中の弁天様 | きれいな泉が湧き出している小さな池の周りに田中の守護神、弁財天 |
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の石祠が建立されている。このほかに珍しい男女の神像を筋彫りした道 |
| 祖神や文字道祖神、庚申塔等が建立されている。 | |
| ⑨鎌倉井戸 | 昔々弘和年間(今から610年程前)上野国小日向村の成就院に慶秀 |
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大和尚と言う大そう立派な坊さんが住んでいた。春も半ばの村人たちが |
| 寝静まった真夜中のことである。外には小雨がしぐれ犬の遠吠えがさび | |
| しく聞こえてくる。トントン トントンと表の戸をしきりにたたく音がする。 | |
| 急いで戸を開けると異様な身なりをした武士らしい人と、一匹の犬が | |
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血まみれで立っていたが、苦しげなため息をつくとばったりと倒れてしま |
| った。その後和尚の介抱によりいろりで話が出来るようになった。 | |
| この武士は鎌倉に住む名のある大名であったが悪者どもの不意攻め | |
| に逢い大いに奮戦するも、遂に矢玉尽き刀折れて自刃しようとした時に | |
| 突然口に手紙をくわえた一匹の犬が現れた。急いで読んでみると日頃 | |
| 信仰の厚い地蔵菩薩の手紙であった。内容は、「人民を可愛がりしかも | |
| 信仰心の厚いそなたが悪者どもに敗れたことは誠に気の毒に堪えない | |
| しかし、今は死ぬ時ではない、一匹の犬をつかわすからその犬の案内す |
| るどこかの土地に落ちのび、出家してなき家来たちの冥福と、不幸な人民 | |
| 達の幸福とを祈って暮らせよ、然るに悪者どもはことごとく仏の力によって | |
| 退治されん」・・・・・ | |
| 不思議なことにこの犬は、この大名の鎧のすそのをくわえて引張り、犬 | |
| の後に従って山中を走り2日3夜、たどり着いたのがこの成就院であった | |
| この大名は名を名乗ることはなかったが、やがて成就院より程近い鍛冶 | |
| 村に寺を開いて、半空寺と名ずけ慈悲深い地蔵菩薩を本尊にまつり住職 | |
| になった。元が立派な大名だから坊さんになっても立派で、慈悲深く、親 | |
| のように親しまれ尊敬されていた。 | |
| このお寺には裏庭に美しい井戸が一つあったある夜のこと、大名坊さん | |
| が、一生懸命お祈りを捧げていると突然菩薩のお姿が現れて「いつも変 | |
| わらぬそなたの徳行誠にうれしく思う。その褒美として万一不自由なこと | |
| があれば裏の井戸に御用を申しつけよ。この井田は鎌倉に続いている、 | |
| 何日なりとも鎌倉より即刻入用の品物を届けるぞよ。だが自分の欲のた | |
| めに申し付けた時は、以後永久に御用をたさぬから慎まれよ」・・・ふと気 | |
| が付くともう菩薩の姿はない。 | |
| それから幾年かの歳月が流れたある日のこと、その年は幾年にも無い | |
| 不作でその日食べる米も無い状態、坊さんは近隣の住民を集めて、ある | |
| 限りの米麦を炊いて食べさせたが未だ50人もの食料が足りなくなってし | |
| まった。もうお米が一粒つも無い・・・そのときふと坊さんの脳裏に、去る日 | |
| の菩薩の言葉が浮かんできた。早速裏の井戸に行き「凶作の民を憐れみ | |
| て50人分貸して給れ」、とお願いするとぽっかり、ぽっかり膳が浮かんで | |
| きた。しかも山のようなご馳走が乗っていた。このようにしてその年の飢 | |
| 餓を乗り切ることが出来たのである。こうしてこの井戸は事ある毎に注文 | |
| 通りの品物を鎌倉から運んだと言うことである | |
| 今このお寺は焼失し廃寺となってしまったが、鎌倉井戸(現在は見えな | |
| い)の後は残っている。また大名坊さんの墓と思われる五輪塔が数基残 | |
| っている。 |
| ⑩小板橋雅楽頭重種の 墓と |
長龍寺殿傑山全英居士 天正16年4月18日 |
| 慈光上人の墓(中央より 右側) | 大蓮社快誉慈光上人融徹大和尚 元禄16年7月2日68歳寂 |
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慈光上人は、小日向山王で生まれ重種曾孫、武州小石川無量院4世、 |
| 並びに御荷鉾山不動尊中興の開基であり、長龍寺修復にも大いに寄与 | |
| した。 | |
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⑪臼田の天神様(堰天神) |
臼田の西北に小高い山がありここには大きな古墳がある、この付近を天 |
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神山と称している。ここに大きな石を刻んで建立した天神様が祀られてい |
| る。この天神様は、増田川の大口から小日向堰を掘削した時、その堰の | |
| 守護神として建立し祀られたものであるという。 | |
| 明治四十年この堰天神は、神社合併のために山王の日枝神社境内に移 | |
| 転した。ところがその後臼田村全体に悪魔がはびこり、村人にきつねつき | |
| が続出し死者まで出たという。困った村人は、気狂念仏の大じゅずをかつ | |
| ぎだし、きつねつきを一人一人まわって歩き悪魔退散の祈祷をしたが、一 | |
| 向に効果は現れなかった。困り果てて神様にお伺いしたところ、天神様を | |
| 移転したため神様のお怒りに触れたということが分かり、早速現在の位置 | |
| に戻したのである。その後は悪魔は退散し村内平静に戻ったと言われて | |
| いる。 |
小板橋良平編著 九十九史考より